2014年7月26日土曜日

最初のゴジラ

 最初の「ゴジラ」は,神聖な作品のように扱われている。

 ゴジラシリーズの新作が公開される度に,オリジナルのゴジラと比較された挙句に,ダメ出しをされる。

 オリジナルにオマージュを捧げてもダメ,オリジナルから思い切って飛躍してもダメ・・・。

 「ゴジラ」は,そんなにすごい映画だったのか?



 私が初めてオリジナルの「ゴジラ」を観ることができたのは,大学生の頃だったと思う。

 1984年の「ゴジラ」リメイクに先駆けて,リバイバル上映された時だ。

 面白くなかった。怪獣映画としては。

 編集のテンポが悪く,間延びしている部分が多い。
 特撮をたっぷり見せようとするためかどうかはわからないが,特に特撮の部分が間延びしている。

 主演の宝田明の演技が素人丸出し,志村喬も,国会で調査報告する場面で,セリフがきちんと言えていない。使っている用語の意味を理解しないまま,喋っているようだ。

 そのセリフだって怪しい。ジュラ紀が200万年前だとか,洞窟に潜んでいた恐竜が,ジュラ紀の地層の土と一緒に現れた(化石が生き返ったということか?)とか,本気で書いた脚本なのかなと疑いたくなる部分が多い。

 テレビで怪獣ドラマを浴びるほど観てきた私にとって,この怪獣映画は残念だった。怪獣映画・特撮SF映画としては。



 しかし,この映画から感じる緊張感はただごとではなかった。

 見てはいけないものを見たような気さえした。

 映画は,ゴジラに踏みつけにされて死んでいく人々を執拗に描いていた。

 燃え盛る炎の中で子どもたちを抱えながら,「もうすぐおとうちゃまのところへ行くのよ」とつぶやく夫人。

 幼い女の子にガイガーカウンターを向けてから,残念そうに首を横に振る科学者。

 目の前で母親に死なれて号泣する少女。

あまりにも悲惨な光景を延々と見せる。

 戦争を体験していない私には刺激が強すぎるほどだが,体験した人にしてみれば,
「本当の戦争はこんなもんじゃなかった」
ということかもしれない。

「あーあ,また疎開か。いやだなあ」
なんて台詞は,戦争を経験した人にしか書けないだろう。

 そう,「ゴジラ」は怪獣映画ではなく,戦争の恐ろしさを呪い,こんなことはもうやめてくれと願う,鎮魂の映画だったのだ。

 東京を火の海にしたゴジラは,空襲に来たアメリカ軍でもあり,水爆実験を繰り返す愚かな人間に怒り狂った神でもあり,水爆そのものでもある。
 日本人の悲しい記憶を形にしたのが,ゴジラだったのである。

 だから,ゴジラの生まれがジュラ紀であろうが,200万年前であろうが,そんなことはどうでもいいことだったのだ。

 「ゴジラ」という映画は,戦争の悲惨さを後世に伝える語り部なのだ。

 戦争を体験した者でなければ作ることは難しい,オンリー・ワンの映画なのだ。

 この映画は,まねしようとしてできるものではなく,頑張って超えられるものでもない。

 オリジナルを作った人たちは,それがわかっていたから,エンターテインメントに舵を切り,「キングコング対ゴジラ」のような軽妙な作品を作ったのではないか。



 もう,現代のゴジラシリーズをオリジナルと対比することはやめた方がいい。

 オリジナルは,オンリー・ワンなのだから。